お仏飯と人間様どちらが大事?

 うちの嫁さん非常に信仰心の篤い人で、そこはまあ尊敬するんですが、しかし現実に

生きてる人間と仏壇の中にいらっしゃる方々と比較してどちらが大事かと考えるとき

それは今現在生きて生活してる人間だと思うんですが。

 ある日の朝、出来上がった炊飯器の中のご飯の件で少しもめまして、当日は嫁さんは

早番で弁当を作っていく予定になってまして、熱い出来立てのご飯を早くよそって

準備したかったらしく、いらいらしてまして。なぜかというと、仏様にあげるご飯

お仏飯をまだ私が準備してなくて、「早く準備してあげてくれ」と、のたまいまして

私「なんで?」嫁「仏様のご飯が一番先でしょ」私「はああ?、別にそんなこと、順番にこだわる必要はないだろう?」と順番でもめました。嫁さんはついに怒って昨日の残りのご飯をチンして詰めてましたけど。おこるぐらいなら、自分でお仏飯の準備しとけよと言いたいところをぐっとこらえて、仏壇にお仏飯を上げましたけど。ちょっと納得いかない私がおりまして、そもそも、なんでお仏飯が必要なのか?誰が食べるのか?

どう考えても、たとえ差し上げるにしても別に順番にこだわる必要がある?などなど

疑問がふつふつとわいてまいりまして、さっそく、ググってみましたら、順番にはこだわる必要はないような、ただ、仏様(浄土真宗本願寺派では阿弥陀如来様)やご先祖様に感謝の気持ちを表わすために行う一日の始まりのためのルーティーンのようなものかと勝手に解釈しました。嫁さん曰く「仏様はご飯の湯気が大好きだから、できたてを

あげるのだ」と言ってますけど、調べてみたら、「お線香の煙がご飯の代わり」などと

説明してあるものもあり諸説あるようです。私は、順番にもこだわりませんし、イミテーションでもいいと思っているほうなんです。実際、供花は造花、供物はイミテーション、でおまいりしています。神棚の榊も造花です。でも、お参りは毎日欠かさずやってますし、要は感謝の気持ちがあれば、形にこだわる必要はないと思いますけどね。しかし、お盆前と、お正月前はきちんとお飾りしてます。イミテーションでないお供えものです。